『無事だったのは、ただのラッキーだったかもしれない』。知床で言われた一言

自分の考え・記録

危ない橋を渡ったのに、結果的には何も起きなかった、という経験はないでしょうか。

そのとき人は、「大丈夫だった」ことを、「あのやり方で正しかった」という証拠のように受け取ってしまいがちです。

でも、結果が良かったことと、判断や準備が正しかったことは、本当は別の話です。

「うまくいった」を「正しかった」と混同してしまう心理

これは心理学や行動経済学で「アウトカムバイアス(結果論)」と呼ばれる、よく知られた考え方です。

人は、ある行動の良し悪しを、そのプロセスや準備の妥当性ではなく、最終的な結果だけで判断してしまう傾向があります。

無謀な選択でも結果が良ければ「あれでよかった」と感じ、逆にどれだけ慎重に準備していても、結果が悪ければ「判断が間違っていた」と感じてしまう。

厄介なのは、結果オーライだった経験ほど、次も同じやり方を選んでしまう学習につながることです。

準備不足のまま突っ走って、たまたま何も起きなかっただけなのに、「このくらいで大丈夫」という感覚だけが残ってしまうのです。

判断のプロセスを振り返るには、時間も労力もかかります。

一方で、結果を見るだけなら一瞬で済みます。

だからこそ人は、無意識のうちに「結果が良かったかどうか」という一番手軽な基準で、過去の自分の判断を採点してしまいがちです。

知床で、地元の人に言われた一言

自分にも、これを痛感した経験があります。

大学2年生のとき、先輩に誘われて、知床半島をシーカヤックで一周したことがありました。

漕ぐ距離は70キロ近くあったのに、持っていった食料は米3キロとじゃがいも、醤油くらい。

テントの骨組みになるポールを忘れたまま出発してしまい、初日から非常用の簡易シェルターで一晩を過ごすことになり、深夜には潮が迫ってきて寝床を移す羽目にもなりました。

それでも3日かけてなんとか周りきり、上陸した先で、土地の持ち主とみられる男性に助けてもらいました。

そのとき言われたのが、こんな一言です。

「こんな荒れた海を漕いできたなら知床シーカヤック仮免許を出してやる。ただし、今回無事だったのはただのラッキーだったかもしれないから仮な」と。

この言葉が、今でもずっと頭に残っています。

「無事だった」は、準備が十分だった証明にならない

当時の自分は、周りきれたという結果だけを見て、「まあ何とかなるものだ」と感じていました。

でも、あの言葉のとおり、無事だったのは、たまたま天候や海の状態が致命的なところまで悪化しなかっただけです。

食料の少なさも、テントを忘れたことも、一歩間違えれば取り返しのつかない結果につながっていた可能性は十分にありました。

「結果的に無事だった」という事実は、「あの準備でよかった」ということの証明には、本当はなっていなかったのです。

同じことは、日常のいろいろな場面で起きる

これは、シーカヤックや自然の中の話に限りません。

締め切りギリギリまで準備しなかったのに、たまたま評価されたプレゼンがある。

十分な下調べをしないまま出した企画が、たまたま通ってしまう。

多少無理な運転をしても、事故らずに済んでしまう。

体調管理を後回しにしていても、たまたま大きく崩れずに済んでしまう。

在庫を切らしそうなギリギリの発注を続けていても、たまたま欠品にならずに済んでしまう。

こうした「たまたまうまくいった」経験が積み重なると、そのやり方自体が正しかったかのように錯覚し、次はもっと悪い条件が重なったときに、同じことを繰り返してしまいます。

そして皮肉なことに、一度目より二度目、二度目より三度目の方が、根拠のない自信は強くなっていきます。

結果が良かったときこそ、立ち止まって考える

このバイアスへの対策は、うまくいかなかったときより、むしろ「うまくいったとき」にあります。

結果が良かったときこそ、「これは実力や準備のおかげだったのか、それとも運が良かっただけなのか」を分けて考えてみることです。

具体的には、「もし少し条件が悪かったら、今回の結果はどう変わっていたか」を、うまくいった直後に一度想像してみるといいと思います。

食料がもう少し尽きるのが早かったら、天候がもう半日荒れていたら、あの日は本当に無事に終えられていたか。

そうやって振り返ると、「結果オーライ」で片づけていた場面の中に、次に活かせる改善点が見えてきます。

うまくいった直後は気が緩みがちなので、結果だけをその場で褒めて終わりにせず、判断の過程を短くメモに残しておくのも一つの方法です。

「今回はここが薄氷だった」と自分で書き残しておくだけで、次に似た場面が来たときに、同じ薄氷を踏まずに済みます。

あの一言を、今も思い出す

知床から帰った後も、しばらくは「なんとかなった」という感覚の方が強く残っていました。

それでも、あの男性の「ラッキーだっただけかもしれない」という一言のおかげで、うまくいった経験ほど、その中身を疑ってみる癖がつきました。

北海道の自然の中で仕事をつくって生きている今も、結果が良かったときほど、それが本当に正しい判断だったのか、一度立ち止まって考えるようにしています。

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