『何もできない』と感じたとき、人は不安になる。出産に立ち会って気づいたこと

暮らしと子育て

大切な人が苦しんでいるのに、自分には何もできない。

そう感じて、いたたまれなくなったことはないでしょうか。

何もできないという感覚そのものが、実は一番つらいのかもしれません。

「コントロール感」がなくなると、人は不安になる

心理学では、自分がその状況に対して何かできる、という感覚を「コントロール感」と呼びます。

このコントロール感がある状態は、ストレスや不安を和らげることが知られています。

逆に、状況に対して自分が何もできないと感じる「無力感」は、それ自体がストレスの大きな原因になります。

心理学では、何をやっても状況が変わらないという経験が続くと、そもそも行動を起こそうとしなくなる「学習性無力感」という状態も知られています。

そこまで極端でなくても、「自分には手出しできない」という感覚は、それだけで人を強く疲弊させます。

つらいのは、苦しんでいる出来事そのものだけではなく、その感覚が重なることなのだと思います。

出産の日、何もできなかった自分

自分にも、これを強く感じた経験があります。

妻の出産に立ち会ったときのことです。

急に状況が変わり、その日のうちに生まれるかもしれないと知らされ、慌てて病院へ向かいました。

夜遅くに着いた病院は薄暗く、どこに向かえばいいのかも分からず、ただただ心細かったのを覚えています。

分娩室にたどり着いてからも、陣痛に苦しむ妻の横に座り、「してほしいことある?」と聞いても、返ってきたのは「特にない」の一言でした。

代わってあげることもできず、ただ苦しむ姿を見ていることしかできない時間が、何時間も続きました。

自分がそこにいる意味さえ分からなくなりかけた頃、妻の汗をタオルで拭くという小さな役目を見つけ、看護師を呼ぶボタンを押す役目も託されました。

たったそれだけのことですが、その瞬間から、無力感が少しだけ和らいだのを覚えています。

なぜ、小さな役割が無力感を和らげるのか

状況の全体を変える力は、自分にはありませんでした。

それでも、目の前の一つの行動に集中できると、「何もできない自分」から「これだけはできる自分」に意識が切り替わります。

役割の大きさは関係なく、「自分にもできることがある」という実感そのものが、コントロール感を取り戻すきっかけになるのだと思います。

裏を返せば、無力感でつらいときほど、状況全体をどうにかしようとするのではなく、目の前でできる一番小さなことを探す方が、気持ちは楽になります。

状況を変える力がなくても、役割を持つことはできる。

この違いに気づけたことが、あの日一番の収穫だったのかもしれません。

役割は、誰かが用意してくれるとは限りません。

自分で見つけた汗を拭く役目もあれば、周りから任された役目もありました。

待っているだけでなく、周りをよく見渡してみることも、役割を見つける一つの方法なのだと思います。

同じ無力感は、いろいろな場面で起きる

これは、出産の立ち会いに限った話ではありません。

家族が入院していて、病室の外で結果を待つしかないとき。

被災地のニュースを見ながら、現地に行けない自分に何ができるのかと感じるとき。

後輩がトラブル対応で苦しんでいるのを、口を出せずに横で見ているしかないとき。

親しい人が大きな決断で悩んでいて、答えを持ち合わせていないとき。

大きな問題そのものは解決できなくても、水を持っていく、話を聞く、代わりに調べものをする、寄付をする、といった小さくてもできることは、たいてい残っています。

大事なのは、それが問題解決に直結するかどうかではなく、「自分にもできることがある」と感じられるかどうかです。

小さな役割は、状況そのものを解決してはくれません。

それでも、無力感に押しつぶされそうな時間を、なんとか耐えられる時間に変えてくれます。

「何もできない」と感じたときこそ、「これならできる」を一つ探してみることが、無力感への一番の対処になります。

あの日から、今も意識していること

出産は最終的に、帝王切開にならず無事に終わりました。

それでも、あの分娩室で感じた無力感と、小さな役目を見つけたときの感覚の変化は、今もはっきり覚えています。

それ以来、自分にはどうにもできない状況に直面すると、状況全体をどうにかしようとする前に、「今、自分にできる一番小さいことは何か」を自問するようになりました。

たいていの場合、探せば一つくらいは見つかります。

そのひとつを見つけられるかどうかで、同じ無力な時間の過ごし方は大きく変わってくるように思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました