子どもが何かを欲しがったとき、理由もなく「えぇ、それ…?」と思ってしまったことはありませんか。
子ども自身は何も悪いことをしていないのに、なぜか素直に「いいよ」と言えない。
あとから振り返ると、自分でもよくわからない感情だったりします。
この「なぜか気に入らない」という感覚、実は子どもの選択そのものへの反応ではなく、自分自身の子ども時代の記憶が関係している可能性があります。
私自身、最近まさにそういう瞬間があったので、そのときに気づいたことを書いておきます。
同じような経験がある方の、モヤモヤの正体を探る手がかりになればと思います。
きっかけは「光る靴」だった
こないだ西松屋に行ったとき、子どもが「光る靴が欲しい」と言いました。
足のサイズも合っていたので購入することにしたのですが、そのとき私の中に「えぇ、それ…?」という感情が一瞬湧いたんです。
なんかダサい、子どもっぽい(子ども用なんだから当たり前なんですが)、そんな風に思ってしまいました。
不思議に思って考えてみると、理由に心当たりがありました。
私自身、子どもの頃にソールが光る靴が欲しかったのです。
テレビCMで「暗闇でも視認性がいい」といった触れ込みで発売されていたのを覚えていて、幼稚園や小学校では実際に履いている友達もいました。
でも、自分は「親に言ってもどうせダメだろう」と思って、我慢していました。
つまり私は、子どもの頃に我慢したものを、我が子が当たり前のように手に入れようとしている姿を見て、無意識に不快に感じていたのだと思います。
なぜ、子どもの選択に「ええ…」と思ってしまうのか
もし、あなたにも次のような経験があれば、私と同じことが起きているかもしれません。
- 子どもがゲームを欲しがって、なんとなくダメと言ってしまう
- 子どもが選んだ服を見て「ええ、これ…?」と言ってしまう
- お菓子やおもちゃを買ってと言われて、理由もなく渋ってしまう
こうした反応が起きるのは、子どもの選択そのものが悪いからではなく、親自身が子どもだった頃、同じようなことを我慢させられた経験があるからだと考えられています。
親が子どもの行動に制限をかけたくなるのは、子ども時代の自分と、目の前の我が子を無意識に比較してしまう性質が人にはあるからだ、という説明を見かけたことがあります。
私の場合はまさにこれでした。
光る靴を我慢した自分の子ども時代と、今それを手に入れようとしている我が子を、無意識に比べてしまっていたのです。
あなたが「ええ…」と思った場面を思い出してみると、その裏に似たような記憶が見つかるかもしれません。
面白いのは、「ダサい」「子どもっぽい」という感想自体は、よく考えるとおかしいということです。
光る靴は子ども用の商品なので、子どもっぽいのは当たり前ですし、我が子が気に入って選んでいるのだから、それでいいはずです。
それでも一瞬引っかかりを覚えたのは、商品そのものへの感想というより、「自分はそれを我慢したのに」という、過去の自分に対する感情だったのだと思います。
頭では変だとわかっていても、感情の方が先に動いてしまう。
この時間差に、自分でも少し戸惑いました。
結局、西松屋でそのときは何も言いませんでした。
光る靴を買ってもらった子どもは、振動に合わせてソールが光るのが嬉しいらしく、毎日履いています。
光らせたくてよく歩くようになったのか、体を動かす機会も増えた気がします。
「えぇ、それ…?」と言わなくてよかったと、今は思っています。
お年玉、YouTube、ゲーム…同じことがいろんな場面で起きる
「うちは光る靴じゃないから関係ない」と思うかもしれませんが、この現象が出てくる場面は人それぞれです。
私の場合は、お年玉の使い方でも同じような感覚がありました。
子どもが自分のお年玉を自由に使おうとしたとき、何かひっかかるものを感じたのです。
これも突き詰めると、自分自身が子どもの頃、お年玉を自由に使わせてもらえなかった経験と関係しているのだと思います。
自由に使おうとする我が子と、自由に使えなかった自分の子ども時代を比べて、「ずるい」というような感情が湧いていたのかもしれません。
そもそも、子どもが自分のお金をどう使うかに、親が口を出す権利はあまりないはずです。
友達や他人とのお金の貸し借りは別として、それ以外はお金を何に使おうが子どもの自由でいいはずなのに、いざその場面になると、つい制限をかけたくなる自分がいました。
子ども時代に好きなものを買って、お小遣いが尽きても、生活自体は親が支えているので困りません。
むしろ、お金にまつわる小さな失敗を子どものうちに経験しておくことは、その後の人生の力になるはずです。
光る靴やお年玉以外の場面でも、同じことが起きているかもしれない
光る靴とお年玉の件があってから、自分の反応を見直すようになりました。
子どもがゲームをやりたがったとき、動画を見たがったとき、友達との遊び方を見たとき。
「ええ…」と思う瞬間があるたびに、それは本当に子どものためを思っての反応なのか、それとも自分の子ども時代の記憶が顔を出しているだけなのか、立ち止まって考えるようになりました。
すべてがそうだとは思いません。
安全に関わることや、他人に迷惑をかけることは、当然きちんと伝える必要があります。
ただ、「なんとなく気に入らない」「モヤッとする」という感覚だけで子どもの選択を止めようとしているときは、一度自分の子ども時代を思い出してみる価値はありそうです。
「比較していないか」に気づくために、自分がやっていること
特別なことをしているわけではありませんが、子どもの選択に「ええ、それ…?」と言いそうになったとき、私は次のようなことを自分に問いかけるようにしています。
- これは子どもにとって本当に良くないことなのか、それとも単に自分が気に入らないだけなのか
- 自分が子どもの頃、同じような場面で我慢させられたことはなかったか
- 口を出す前に、まず子どもの気持ちをそのまま受け止められないか
これをやったからといって、すぐに完璧な親になれるわけではありません。
実際、光る靴のときは何も言わずに済みましたが、また別の場面ではつい口を出してしまうこともあると思います。
完璧にできなくても、「今のは比較していたかもしれない」と後から振り返るだけでも意味はあると思っています。
それでも、「これは自分の子ども時代の反応かもしれない」と気づけるだけで、子どもへの接し方は少しずつ変わっていく気がしています。
参考にした本:自分の親に読んで欲しかった本
このテーマを考えるうえで、参考になった本があります。
フィリッパ・ペリーさん(高山真由美さん訳)の『自分の親に読んでほしかった本』です。リンク先はAmazonです。Amazonアソシエイトプログラムに参加しております。
世界で200万部売れている子育てしてるなら必ず読むべき本。
私と同じように「自分の子ども時代と我が子への接し方」で考えることがある方は、手に取ってみてもいいかもしれません。
まとめ:次に「ええ、それ…?」と思ったら
子どもに対して無意識に否定的な反応をしてしまいそうになったとき、それは子どもの選択が本当に良くないからではなく、自分自身の子ども時代の記憶が影響しているだけかもしれません。
もし今、子どもの何かの選択に「ええ…」と思っている場面があるなら、一度こう自分に聞いてみてください。
「これは、自分が子どもの頃に我慢したことと関係していないか?」その答えが見つかるだけで、子どもへの言葉のかけ方は変わってくるはずです。
子どもには、子どもの人生があります。
親にできるのは、その子にとってどうなのかを感じようとすることであって、自分の子ども時代の物差しで測ることではないはずです。
光る靴を嬉しそうに履く我が子を見て、私は少しだけそのことに気づけた気がしています。
同じように子育てで感じたことをいくつか記事にしています。
よければあわせて読んでみてください。


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